2017年10月17日 (火)

秋雨前線で作業が進みません。

こんにちは。

実りの秋となり、こがね色に染まった稲穂があちこちで見られます。既に収穫も始まっていますが、何せ雨が続きコンバインが入れない状況です。私は、何とか12日に間に合いまして、収穫する事ができました。また、収穫を祝う秋祭りも明日、町内でにぎやかに行われます。この秋の大祭は、小国の両神社の奉納がメインでありまして、この両神社阿蘇地方を開拓されたと言われる「タケイワタツノミコト」の第二・第三の「み子」である高橋宮・火宮を主神として祭られこの2つの神から両神社となずけられたと言われています。既に14日から始まっており、明日が神輿を担いでパレードします。その両神社の境内にある杉の木を今年は、伐ります。年に1度ある南北小国町の古木が集まる優良材市が11月1日に開催され、両神社の200年の杉5本ぐらいが市に掛けられます。高値での取引きに期待したいところです。ご利益があるでしょうか。                                  さて、前々回の続きの小国の歴史の話ですが、期間が空いて内容を忘れてしまい、資料を物色し、さらに勉強をすることになりました。年号が前後しますが、書かせていただきました。

鎌倉時代には南小国町に勅願時として北条氏によって満願寺が建立されたのは、前回でも紹介しました。そのために北条時定が小国郷に下向し、これにより南北朝時代には北条氏の支配下に小国郷はありました。遡ること源頼親の一子で幸鶴丸(綿貫次郎左衛門妙義)が当初300町の領地を拝領とされ、その後小国に下向した幸鶴丸改め綿貫次郎左衛門妙義が小国郷の領事となり、菊池氏(現熊本県菊池市)の攻めに鐘ヶ城(南小国と小国の町境界)を築き備えた。また、北の大分玖珠に接する湧田山にふもとには桜尾城を築き、菊池氏の大友氏の領地への侵入を防ぐための防御の重要な城となった。小国郷が通過するルートとなっていた。妙義から数代の孫を経て、綿貫氏から北里氏の姓と変わり加賀守包義(14代)が桜尾城の初代城主となり北里氏の代が末代まで続くことになる。このころ小国は、阿蘇氏の支配領域に組み込まれており、阿蘇惟豊が大宮司職をあてがわれている。北里包義は、行政・軍事の両面での代官的な役職に任じられていた。一方では、下城右京亮が登場しており、この方も阿蘇惟豊より代官的な役割を任じられており、状来の流れの支配勢力を残すものの、阿蘇氏の直接支配構造を新たに取り入れても来ていた。のちに北里氏と下城氏は小国郷内で幾度に亘り勢力争いをすることになるが、最終的には北里氏が支配し下城氏は北里氏の配下となる。現在も下城と言う大字は残っており、城跡も下城若宮神社の近くに残っている。wink 続く・・・・・

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2017年9月13日 (水)

稲穂が実り、色づきはじめました。

こんにちは。実りの秋となり、栗の収穫が最盛期を迎えています。また、野菜の高騰でキュウリ、ホウレンソウの値段がかなり、良くなっています。木材の方はと言うと1立方の平均単価は、10,528円と若干良くなった感じです。これから、どんどん高くなってほしいところです。さて、前回に引き続きの小国の生い立ちですが、小国郷史(書籍)をお借りしてまして、一度本人にお返しする事になり、今回は小国にまつわる別の話題を提供したいと思います。次回までには、書籍をお借りし、続きをお知らせしたいと思っとります。申し訳ありません。

小国には温泉が数多くあり、杖立温泉、湧田山のふもとにあるはげの湯、岳ノ湯温泉が少し有名でしょうか。秘湯と言えば秘湯ですが、北里地区(昔はここが城下町であり、石櫃城がありました)に奴留湯温泉があります。天保13年(1842年)北里の堀田の後藤助左衛門が湯の噴出を発見しました。低温であったため、「温湯」と書き小さな小屋を建てて入湯できるようにし、次第に町内外に広まりました。この奴留湯、訳すと「奴さんが留まった湯」となり、一部では、参勤交代の道筋にある温泉として、宿場もあり大名一行がつかれを癒していたと云われてましたが、とんだ間違いだったとわかりました。奴留湯と言う名前は地区名から来たものと思われます。参勤交代の道筋は、大津(菊池)~内牧(阿蘇)~坂梨(阿蘇)~波野(阿蘇)~産山(阿蘇)~白丹(大分)~久住(大分)~鶴崎(大分)であった。奴留湯温泉の近くに「お関様」があり、後藤為人(後藤助左衛門の何かになる)の時代に大分県の佐賀関より「早吸日女大神」を迎え安置し、さらに後藤家にあった「金比羅宮」と七日市地区にあった「馬頭観音」も奉納し、3神をお関様として安置しました。毎年、お関様祭として、7月末に村の方が開催してにぎあっています。なぜ、佐賀関からの神様を持って来たかですが、小国と鶴崎との縁は古く、加藤清正の時代に秀吉からの呼びつけで大阪に出向かなけれなりませんでした。その際、陸路より海路を利用した方が早く大阪へは、大分からの港の方が便利だし、早いと思い、加藤清正は所領を熊本と天草全土を加増で貰い受けてましたが、天草全島と豊後の久住、野津原、鶴崎と交換してもらいました。このような関係から小国と鶴崎とは関係が深く、神様を勧請したものと思われる。また、小国内には「鶴崎鍛冶」や「鶴崎石工」などの技術による学校、寺院、商家の建築物が残っています。・・・・・続く happy01

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     夏の一目山                       夏の湧田山



2017年8月17日 (木)

立秋とは言ったものの。いやはや、この暑さは。

暦の上では、立秋とはなったものの、まだまだ日中は暑いです。ただ、夜はコウロギや鈴虫の声も聞こえるようになりました。当組合も、9月の優良材市に向けて伐り師さんには頑張ってもらいたいところです。本日、丸太市がありましたが、少し値上がりしているみたいです。

さて、鎌倉時代の小国はどうだったかと言うと平家が滅び、源氏も北条氏から滅ぼされ、北条氏が武家政治を行ったわけで、京都の公家はこの実権が面白くなく、後鳥羽天皇を中心に北条氏を倒そうとしましたが、大軍にやられて、配流させられました。「承久の変」でしょうか。

小国の葉室氏も菊池氏とこの承久の変で朝廷側に参加しているようです。よって、敗北した菊池氏は領土が半分になり、葉室氏は領土を没収され菊池氏の配下になっている。当時は小国も阿蘇氏の所領化にありましたが、阿蘇氏の武士団化を恐れ、北条氏が地頭となり阿蘇氏の勢力を削ぎ取っていた。しかしながら、阿蘇神社に対しては尊崇の念をもっていたと考えられている。葉室氏が菊池氏の配下になったのち、小国は北里(綿貫)次郎左衛門尉妙義が御家人としておさめたと考えられる。幕府の武家政治が始まり、北条時定が鎮西奉行として九州を統制し、守護を置くようになった。大分には大友氏、大宰府には武蔵頼資氏、薩摩には島津氏、球磨郡人吉には相良氏を地頭として置いた。時定は、小国に来て満願寺(満願寺温泉)を建立し、勅願寺とした。それは、時定の墓、定宗の墓、隋時の墓があるので明らかである。

つづく

2017年7月31日 (月)

大暑になりました。

こんにちは。梅雨も明けの昼間の猛暑と熱帯夜が続いています。小国でも夜の気温は、30度となっています。さらに、湿気も多いことから余計に暑く感じるところです。ひぐらしが鳴きはじめると、そろそろ涼しくなるのですが、まだクマセミやアブラゼミが鳴き続けています。

組合の現業職員もこの暑さでかなり、ばてばてだと感じています。頑張ってほしいものです。怪我や熱中症が心配です。

さて、小国の名前の由来も様々な説がありましたが、昔から続いている農林業にも通ずるところかもしれません。平安時代の小国はどうであったか、小国に来たと言われる北里氏の祖先は綿貫次郎左衛門信義であり、幼名は幸鶴丸と言った。源頼親の五男で豊後に60町、小国に240町の土地を授けられた。その日が4月1日であったので、綿貫と称したと言う。1029年のことである。幸鶴丸がのちの小国の総庄屋である北里氏の総本家となるのである。当時の国中では、藤原氏が京都と中央政府の地位を独占し、皇族でさえ地方に追いやられていた。皇族の中にも平氏、源氏の姓を受け、地方に散らばり、国司として土着し、武士になったものも多くいる。小国でも豪族が入り乱れていた。源氏と平氏の勢力争いでは、源氏がやぶれ、再興を図るため源義朝は源氏再興の意図から、諸国の源一族を呼び京都に招いた。綿貫光義も召集に応じ、上京したが、敗れている。のち、九州に帰り、豊後の緒方氏を頼った。平氏の追撃をさけるためであったと思われる。平氏の権勢が盛んになると、地方の武士もそれにならって行った。京都では、平氏の横暴ぶりが皇族や公家の反乱を招き、以仁王は、源氏氏に令旨を下し、頼朝、木曾義仲、その他の武士が挙兵した。九州でも、阿蘇氏、菊池氏、緒方氏、木原氏が反平氏として立ち上がった。しかし、筑後守平貞能が菊池を攻めて菊池氏は下った。ただ、平清盛が病死したのちは、勢力が弱まり、ついには長門檀の浦で滅亡した。当時の小国は、京都から葉室修理太夫善保が下向して小国に来ている。北方の固めとして小国西原城に居たと伝えられ、平氏の荘園(農地)の地頭として下向したのではないか。その後、鎌倉幕府となり、葉室氏は鎌倉の御家人になったと考えられる。のちに幕府は阿蘇氏の総領家を圧えるために北条氏が地頭となったので、葉室氏が御家人として管理したのではないかと考えられる。ただ、これは推測である。

つづく・・・

2017年7月 8日 (土)

豪雨による甚大な被害

こんにちは。このたびの福岡大分地方(朝倉、久留米、日田)に梅雨の豪雨で痛ましい

甚大な被害をもたらしました。心より、お見舞い申し上げます。幸い、小国は雨の隙間で

あったと申しましょうか。幸いにして、被害がすくなかったところです。ただ、なんでかこの

ところ微震があってまして、夜中に目が覚めたりします。coldsweats02 震度2程度ではありますが。

隣接する南小国は小国より被害が大きかったようです。

この世の中、どこで何が起こるか判らないところです。

さて、昨今ニュースでEUと大筋合意に達したEPAの協定で関税撤廃に向けての動きが

出てくるようで輸入材による林業への影響も少なからず出てくる可能性があると懸念して

いるわたくしであります。そんな~、政府も林業を成長産業の1つに掲げているし、CLT

工法で国産材普及を促進しているので、そんな心配する事ないか~。

小国の名前の由来などを文献で探究してみると、阿蘇神社から分かれて来た小国両神

社があるわけですが、その神話として阿蘇神者の祭神となった健磐竜命(たていわたつの

みこと)が阿蘇山上から三方に矢を放った。1本は、北の「御矢の原」に放たれた。(たてい

わたつのみこと)の命で火の雄神と水の雄神は巡視に来られた。大河片澄と言う御矢の

原の地主は、その二神に申し上げた。「臣を御手の中におかせ玉えば、臣が国小なりと

いえども、青山四方を巡りて住吉の国なり。臣従はば皆服し奉るべく、誰1人そむくものは

ありません。」と言葉を述べた。このことから、国小なりから小国の名が出来たという説も

ある。あくまでも、神話であるが、誠に面白く小国の名にふさわしい言葉であると感じた。

また、全国の行政地名が書いてある中に阿蘇郡四郷=波良郷、阿蘇郷、衣尻郷、知保

郷とある。省略しますが、波良郷は、二重の牧場とともに良馬の産地と書いてある。時は     

約千数百年前の反正天皇時代に阿蘇郡領の木村と言う人の子に「味村」と言う人が

小国牧監になっている。このことから、小国は原野が広く、地力もあり、よく野草も茂り

水も豊富にあった事から、良馬の産地であったと考えられる。それがすなわち波良郷

(はらさと)=原(はら)となり、小国の地名にもこの原がついた地名が多いことで小国

となった考えもある。さらに、1078年阿蘇宮神領の四境の国宣(こくせん)がある。

「東は宇歩山、平江、滝水、河原地方、南は日向越給道、西は鞍ヶ岳の峰、北は椙山

の北日田境に及ぶ」とある。すなわち、北は椙山とあるのは小国を指しているであろう、

日田は大分県の日田であるため、隣接しており、昔から小国は自然に天然の杉が樹勢

していたとも言われている。波良郷と椙山、実に響きのよい名前である。

最後に、小国は「北郷」と呼ばれた時代がある。これは、比較的新しい時代であるが、

阿蘇谷を東郷、西郷、北郷、南郷と呼んだ事で古文書に書いてある。現在の地名で残っ

いるのは、南郷谷(久木野村、白水村、長陽町)である。北郷は小国の事であるが、昔

から小国と呼ばれてきたので、北郷の名は殆ど用いられていないが、昔小国を治めて

いた綿貫氏が北郷(きたざと)と改名したようである。それが、後に北里に変わり、細川

藩の時代に小国に「北里手永」を置いたという。属に言う総庄屋のことである。

小国の地名には、逸話があるが、何にしても地形、自然などから名前とマッチしている

と深く感銘した。catface つづく・・・・

2017年6月 2日 (金)

今年も夏は暑くなりそうです。

こんにちは。約1年ぶりにブログ更新します。

なぜか、と言うとHPを作り直した関係とただ単にサボっていたところです。

天気が良いせいか、丸太もそこそこ出ています。梅雨前には、なるべく市場に出さないと

作業者も仕事が出来なくなるので、休まず頑張っているところです。

組合もハーベスタと言うマシンを4月に導入しましたので、作業能率は格段にアップし、

生産量も増加しました。保育林産の職員も若手が2名入ってくれましたので、現在9名の

3班で作業をやっています。しかし、人数が増えると班の中でも色々といざこざもあり、なん

とも悩ましいところです。

と言うところで現在私も小国町の生い立ち、経歴なんかを学んでいます。さわりを言うと

小国は、源氏の流れが来ておりまして、昔から合戦の場だったようです。東西南北から

鬩ぎ合いが続いており、立ち替わり、入れ替わりで色々な方が治めていたようです。

次回からシリーズ化したいと思いますので、小国郷史の中身を熟読し、わかりやすくお伝

えします。なるだけ、サボらないようにがんばります。wink

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 ハーベスタ(立木を倒して玉切りする)            グラップル(丸太をつかんで

                                   運搬車に乗せる)

2016年5月16日 (月)

夏近しでしょうか。

こんにちは。happy01

久しぶりに更新します。このたびの熊本、大分地震で被害を受けられた方々には、心より

お見舞い申し上げます。1ヶ月過ぎたとはいえ、余震はまだまだ続いているところであります。

小国に至っては、落石、道路亀裂はありましたが、人的被害や家屋等の被害は殆どあり

ませんでした。ただ、今日のツーリズムの会議でGWの観光客来町は例年の30~40%に、

留まっているとの話があり、旅館や商店街は目に見えない被害を受けているようです。

森林で申しますと杉の丸太は通常どおりに生産されています。需要と価格は、これから

梅雨に入りますので、虫が入るのを警戒して、買い気が減ってくると思われます。

さて、昨年10月より本格的に小国杉精油を生産し始め、今年4月には商品が出来たところ

で、小国杉エッセンシャルオイルです。ただ、精油を活かして行くためには、ただのオイル

だけではなく、オイルから生み出すものを作って行く必要があります。付加価値をつけて

行く事です。先般、北九州市のシャボン玉石鹸さんを訪問しましたところ、建物とロゴマー

クは昔のままでレトロなイメージを感じました。石鹸或いは関連商品として精油の利用がな

いかの依頼に行きました。ところが、シャボン玉石鹸さんは、原料の無添加を売りにしてお

り、香りがあると会社方針にそぐわなくなるとの事でした。う~ん、そこまで徹底している会

社であるからこそ、いままで安定した経営を続けているのだと実感した次第です。

アロマ事業は、オイル以外の新商品を今年1年で作り上げて行きたいと思っています。杉

の精油はとても爽やかで柑橘系の香りがして癒されます。

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2016年1月26日 (火)

小国も大寒の時期

こんにちは。

今年明けて一番の寒さとなっています。土曜日からの雪と気温の低さで水道管まで凍っ

ています。

組合事務所の隣の警察署、その隣の熊本クボタも水道が出ないようで、組合へトイレを

借りに来ている状況です。bearing

丸太の方もこの雪で出て来てません。共販所には、トラック5台分しかなく、2月1日の

共販が、出来るかどうか心配なところです。今朝、数名の1人でやっている親方の作業者

が来て、「おまんま食い上げ」や、と嘆いていました。

昨年のこの時期は、雪が降らなく仕事も順調だったのですが、今年は、年末からの状況

から今年は暖冬で大丈夫だろうな~と思いきや、寒波は突然やって来ました。

でも、昔の小国から比べればかわいいもんです。雪が数日間しんしんと降り、数十センチ

積もり作業ができず、作業者への支援として、組合から雪害生活資金を出した事もあり

ました。このように、山仕事をしている方は、天候に左右され、不安定な生活を余儀なく

されるだけでなく、危険もあり、暑い日や寒い日でも仕事に出て頑張っています。

その対価として、間伐や下刈りなどで綺麗になった山の姿を見て満足感を得ているのも

事実です。

私達の生活で欠かせない森林を守ってくれているのは、このような方達です。

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2015年12月28日 (月)

今年も残りわずか。

こんにちは。

ここ数日は、晴天がつづいています。朝は霧がかかり、例年であれば雪もちらつき、身震

いする寒さですが、年末らしからぬ天気となっています。

お蔭で、現場の方は捗どっていますが、今年は作業者の怪我が非常に多かった歳とな

りました。4月のKさんから始まり、27日の年末の押し詰まった日にⅠさんの事故があり

ました。請負いで仕事をしている人が4名、組合現業職員が1名と計5名で、中でも、現業

職員は、右足脛骨の開放骨折で全治6ヶ月となっています。

労災事務担当者は、今年4月から担当となりそれから立て続けに作業者の事故となって

しまいましたので、みんなからちくられたりして、ほんと嘆いていました。しかし、これは

組合の責任ですので、気を引き締めなければならないところです。

山の作業は、現場が終る間際や急いでいるとき、他の事を考えていたとき、疲れていたと

きなどに起こりやすいようです。

来年は、1人の怪我人も無く、無事故であってほしいし、請負作業者は儲かってほしいと

思います。

組合としては、安全会議やパトロールなのでの注意喚起しか出来ませんが、慰労会や

助成金などで応援はして行きたいと思います。

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2015年12月 1日 (火)

師走に入りましたが暖冬が続いています。

こんにちは。

12月1日に入り、師走となり何かと慌ただしい時期ともなりました。

小国でも、例年であれば凍えるような寒さで雪もちらつくような時期なのですが、何とも暖

かく、陽気な天気となっています。ただ、夜は冷え込みが厳しくなっています。

さて、11月27日~28日にかけてNPO法人九州森林ネットワークの主催によるフォーラム

が小国町の木魂館で開催されました。テーマは、「山へ向かう人たちの群像」~IUターン

者の活躍と山村の未来~で2日間に亘って、講義あり、ワールドカフェあり、夜なべ談義

等で盛り上がっていました。今回は、開催20回記念となり、記念の冊子も作られたところ

です。

また、木魂館が温泉湯の温度を上げるため薪ボイラーを建設中で、木の駅プロジェクト

の詳しい説明もありました。

講演は、田園回帰で有名な島根県中山間地域研究センターの研究総括監の藤山先生

を招聘し、講演。毎年の人口と所得の1%を回復出来れば中山間地域は安定する。

工場誘致などは必要ない。地元の資源、食材をスーパーに置けば、経費を押さえられ、

所得収入にも繋がる。と訴えていました。

また、木魂館の館長の江藤氏も講演し、移住者が小国に入る希望があれば、まず地元に

慣れるための繋ぎ役となりたい、更にUターン者を増やす事で、人口減少に歯止めが、

かかるとの見解でした。

これから、国も地方創生戦略により、都会から活気ある地域への人口流出を狙っている

様ですが、双方のマッチングがうまく行かないと難しいと思われます。

小国町も団塊の世代と若い世代がうまく連携して行けば、何かが起こりうるかも知れま

せん。

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