2018年4月 3日 (火)

桜満開の小国

こんにちは。久しぶりに、投稿します。

小国でも、ここ数日前から桜が一気に先はじめ、本日が見ごろでしょうか。既に、熊本市内は散っており、1週間遅れで満開です。(o^-^o) 3月前半までは、気温が上がらない状況でした。さて、昔の小国の苗字の付け方は戸籍簿で詳細調べて統計を取ってみると、藩士や郷史であった家の苗字が多かった。他地域より、小国に来て、先住の小国人と一つになって次第に子孫が増えている。平安時代には、小国の支配者となった源氏の綿貫氏はのちに北郷氏(のちに北里)となり、桜尾城主~山野城主~石櫃城主と代々受け継がれ、細川藩時代では、禄高250石の領地在宅を命じられていた。また、鎌倉時代に北条氏が支配していた頃、北条定宗、隋時の家来として下向して来た河津氏、児玉氏、武田氏がいる。いずれも名家あり、特に河津氏は子孫も多く、中でも小国町長、全国町村会長にもなった河津寅雄氏は多くの功績を小国に残している。室原氏は、楠正成の末裔として、大分県の上津江村から室町時代に小国に来ている。その名残りが見られるのが、黒渕に住んでいる室原氏宅は200年の旧家であり、一本槍も飾られている。橋本氏は、関ケ原で敗れた森孫兵衛忠隆が流浪し、小国に来て後に橋本氏になったと言われる。大分県の玖珠郡、日田市からも多くの方が来ており、子孫繁栄している。更に、小国の地名を苗字としたものも多く、土田(はんた)山川、田代、長田、明里(あかり)、などがある。ちなみに小国の苗字で多い順としては、佐藤、河津、北里、穴井(あない)となっている。ただ、上位3位までは、名家もあり、文化人、功績を残した方も多いが穴井はほとんど聞いたことがない・・・う~ん

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             鍋ヶ滝(なべがたき)             河津桜

2018年2月 5日 (月)

立春と言えども

 こんにちは。明けてからもこの寒さが続いています。2月の立春を過ぎても日中でもマイナス2度となっており、いつ春が来るのやら。おまけに灯油や重油は値上がりして、生活は益々経費がかさむ状態です。木材も日陰の公道も雪があり、シャーベット状態の道路が多く、まだまだトラックが入れない箇所があります。29年度の間伐の補助金の予算も消化する時期で追い込みをかけていますが、中々作業がはかどらないのが実情です。

 さて、北里氏系譜によると初代信義から29代の永義までは1代での流れでありましたが、30代の政義から総領家と庶子家に分かれております。いわゆる武家と庄屋とに分かれたことになります。政義は加藤家に仕えており、後に細川藩忠利に末代では仕えることになります。現在の総領家は南小国の田の原地区にその末裔がおられます。庶子家には、弟の惟経(これつね)が家督を継ぎ、初代庶子家に惟宣(これのり)がなり、14代で現在も家督が繋がれております。途中、8代の北里元義で分家に細菌医学学者で北里大学の先駆者でもある北里柴三郎氏がこの流れの家督を継いでいました。また、惟経の五男であった惟昔(これしゃく?)の末裔に小国杉の篤林家の一人として名前出ています北里栄喜さんがおられます。こうしてみると、北里一族の末裔は、分野ごとに分かれており、断絶した家もありますが、現在も小国町内で活躍している方が大勢いらっしゃいます。snow

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          雪の涌蓋山                      どや顔の河津さん

2018年1月11日 (木)

平成30年は雪多しの年に

謹んで新春のお慶びを申し上げます。smile

 今年も当組合、山の整備、林業担い手の育成、木材加工品の販売など一環した林業・木材関連の推進に努力してまいります。なにとぞ、よろしくお願いします。

 昨年12月からの寒波襲来で小国も冷え込み、年が明けて早々は比較的暖冬でしたが、8日あたりから冷え込み、11日はあたり一面山々は雪化粧となっています。小寒から大寒にかけてはまだまだ、寒さが続くのでしょうか。6日は組合も近くの両神社で役職員の安全祈願を実施し、コンプラ研修会、午後からは現場の方を対象に研修会を実施したところから始り、9日からが本格的な仕事はじめとなっています。

 さて、仕事はじめの9日は共販所で初市が行われ、県内外の買い方約40名がセリ子の声につられ、入札していました。販売数量は約1,600立方ほど販売し、杉の最高値は1立方@35,000円で桧は1立方@60,000円でした。

さて、北里妙義が14代目の宗家の総領となり、20代目の包義が小国に九ヶ城を築くことになる。これは、菊池氏が豊後の大友氏に攻め入る際に小国の通過が避けらず、阿蘇大宮司氏とも中が悪く、阿蘇から攻め入ることは難しいかったことも考えられる。南小国町満願時付近に矢田原城から動馬喜城を築城し、菊池勢の攻撃に備えた。しかし、多勢に無勢もあり豊後まで通過され、大友氏と争うことになっている。25代目の為義代では、阿蘇家の兄弟での家督争いに巻き込まれ、島津氏についた長男惟長と阿蘇家についた惟豊側で家督争いに巻き込まれ、惟豊側についた為義は、敗れ宮崎の諸塚村(もろづかむら)に逃げたが追撃に遭い、家来28名とともに玉砕された。その墓は今でも祭られており、地元の甲斐氏によって毎年祭祀が行われている。27代目正義は為義の長男でであり、父の討死時に島津勢に捕えられ、拉致されること10年にわたったが、13歳で小国に帰され家督を継ぐことになった。それは、以前でも話した通り豊臣勢の九州征伐で島津勢を追い払ったことから伺える。続く・・・

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 1月9日の初市                          1月11日の市場雪化粧

2017年12月 8日 (金)

師走に入り。

こんにちは。

師走に入り、寒さも一段と厳しくなりました。11月までは、暖冬のような気候でしたが、昨日の朝は氷点下3度と今年一番の寒さでした。いかがお過ごしでしょうか。今日は、雪も舞っており、小国特有の寒さの到来となりましたでしょうか。(涌蓋山まっしろ)wobbly

去る12月3日に第8回目となります小国杉エコツアーを開催しました。この日はツアー参加者を出迎えたような快晴となり、植林では汗ばむ気温となりました。参加者は、20名ほどで滞りなく終了しました。おかげさまで、リピーターも半分となりCO2削減におおいに貢献していただいていると思います。1人1人の取組みが大きな輪になり、小国の杉が少しでも地球温暖化防止に貢献して行ければ、この取組みの意義が出てくると思います。来年も開催しますので、12月の第1日曜をお見逃しなく。smile

さて、小国町の歴史ですが豊臣政権時代には小国郷は大友氏の勢力下にあり、31代の北里三河守左馬助が総領家として小国郷を任されていた。しかし、島津勢が肥後の国に入り、小国に攻め入ったときには、大友氏の配下として小国を守っていたが、次第に押し込まれ島津勢の支配下となった。それは、そもそも北条家から阿蘇大宮司(阿蘇氏)の支配下にあったが阿蘇氏もなくなく島津勢の配下となった事でその流れとなっている。その後、豊臣勢が九州征伐として、島津勢を追い払うと豊臣家の家臣「佐々成政」が熊本の領主となり、小国も北里三河守左馬助が成政に願い出て所領が安土されることになった。

しかし、肥後の国で侍一揆が勃発し、制圧できなかったお咎めで佐々成政は摂津で切腹となった。その後、加藤清正と小西行長が熊本に入り、相良、小西、加藤と肥後の国を3分割し統治した。北里家は、前回紹介したとおり平安時代の豪族から始まり、鎌倉時代には綿貫次郎左衛門尉信義(幸鶴丸)が初代の北里家となっている。ちなみに幸鶴丸は、源氏の頼光の子であり、当時源氏の支配下にあった小国の総領となって300ha所領を有していた。その後、2代目から北里姓を称し14代目の妙義が小国に桜尾城を築城している。(現在の岳の湯温泉近辺)菊池氏が攻め込んで来たときには、阿蘇氏の家臣となり、桜尾城を拠点に9つの城を築き、守っている。戦国には大友氏に仕え、加藤清正の支配下では、総領家となり当時の30代目の北里政義から庶子家(分家)として総庄屋が残って来ている。従って、本家の流れが武家を受け継いでおり、分家の流れが庄屋を受け継いでいる。現在の北里町長と当組合の北里常務理事は、庄屋の方に属している。つづく・・・

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    植林地(涌蓋山が正面に見えました)       マイ箸づくり(小国杉で作りました)

2017年11月 1日 (水)

紅葉も始まりました。1

こんにちは。

10月の長雨も終わり、久しぶりの秋晴れとなっています。霜月となり、小国の涌蓋山のふもとでは、霜が降り少しづつ木々が色づき始めています。これから、小国も寒くなり、こたつが欠かせないところです。

今日は、小国郷優良市があり、県内外から80名ほどの買方さんが見え、遠くは秋田、四国からも見えていました。今年のメインは小国でも最も古い神社(両神社)の大木が出荷されていました。さらに、桧も200年近いものもあり例年にない粒ぞろいの丸太が並びました。威勢の良いセリ子の第1声からはじまり、メイン木は11時ぐらいからセリにかけられ、1立方当たり10万円からの丸太が続出しました。最高値の桧は、1立方28万9,800円で、なんと杉も最高値が28万9,800円と同じ金額でした。杉の方は2番木で予想外の値段であり、両神社木でした。桧は、個人の所有者でした。全体的には、値段は良かったと思いました。少しでも、所有者へ収益が残れば幸いだと思います。

さて、小国郷の歴史ですが1580年代では小国郷は大友・阿蘇氏の二重支配構造になっており、宅間原合戦(熊本市大江町)を皮切りに薩摩の島津氏が肥後の国に進出し始め室原氏が阿蘇惟将の配下で大友方として出陣している。大分県上津江村から小国の黒渕手水野で合戦が始まり、阿蘇惟将配下の矢津田監物氏や室原駿河守氏などが防戦している。1584年には、北里和泉守、北里惟昌が北里地区に籠城して防備を固めている。攻めあぐねた島津方は、内応を働きかける。下城地区の下城伊州に本領安堵を条件に攻め、北里惟昌氏も島津方に本領安堵を条件に内応している。(のちに息子の北里親生も内応する可能性があったが阿蘇惟光に忠節を誓う事で本領安堵となっている。)それによって、1586年に小国郷も島津方に陥落し、大友氏の本土である大分の宇佐にて転戦している。翌年、九州征伐をめざして豊臣秀吉が進出すると島津勢は小国郷から撤退し、その後豊臣家の大名として佐々成政が治めることになる。小国郷は肥後の国、大分の豊後の国、日田地区に隣接しており、いづれの勢力にも、地理的に重要な地域だったと考えられる。合戦の場ともなっていた。  ・・・続くhappy01

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2017年10月17日 (火)

秋雨前線で作業が進みません。

こんにちは。

実りの秋となり、こがね色に染まった稲穂があちこちで見られます。既に収穫も始まっていますが、何せ雨が続きコンバインが入れない状況です。私は、何とか12日に間に合いまして、収穫する事ができました。また、収穫を祝う秋祭りも明日、町内でにぎやかに行われます。この秋の大祭は、小国の両神社の奉納がメインでありまして、この両神社阿蘇地方を開拓されたと言われる「タケイワタツノミコト」の第二・第三の「み子」である高橋宮・火宮を主神として祭られこの2つの神から両神社となずけられたと言われています。既に14日から始まっており、明日が神輿を担いでパレードします。その両神社の境内にある杉の木を今年は、伐ります。年に1度ある南北小国町の古木が集まる優良材市が11月1日に開催され、両神社の200年の杉5本ぐらいが市に掛けられます。高値での取引きに期待したいところです。ご利益があるでしょうか。                                  さて、前々回の続きの小国の歴史の話ですが、期間が空いて内容を忘れてしまい、資料を物色し、さらに勉強をすることになりました。年号が前後しますが、書かせていただきました。

鎌倉時代には南小国町に勅願時として北条氏によって満願寺が建立されたのは、前回でも紹介しました。そのために北条時定が小国郷に下向し、これにより南北朝時代には北条氏の支配下に小国郷はありました。遡ること源頼親の一子で幸鶴丸(綿貫次郎左衛門妙義)が当初300町の領地を拝領とされ、その後小国に下向した幸鶴丸改め綿貫次郎左衛門妙義が小国郷の領事となり、菊池氏(現熊本県菊池市)の攻めに鐘ヶ城(南小国と小国の町境界)を築き備えた。また、北の大分玖珠に接する湧田山にふもとには桜尾城を築き、菊池氏の大友氏の領地への侵入を防ぐための防御の重要な城となった。小国郷が通過するルートとなっていた。妙義から数代の孫を経て、綿貫氏から北里氏の姓と変わり加賀守包義(14代)が桜尾城の初代城主となり北里氏の代が末代まで続くことになる。このころ小国は、阿蘇氏の支配領域に組み込まれており、阿蘇惟豊が大宮司職をあてがわれている。北里包義は、行政・軍事の両面での代官的な役職に任じられていた。一方では、下城右京亮が登場しており、この方も阿蘇惟豊より代官的な役割を任じられており、状来の流れの支配勢力を残すものの、阿蘇氏の直接支配構造を新たに取り入れても来ていた。のちに北里氏と下城氏は小国郷内で幾度に亘り勢力争いをすることになるが、最終的には北里氏が支配し下城氏は北里氏の配下となる。現在も下城と言う大字は残っており、城跡も下城若宮神社の近くに残っている。wink 続く・・・・・

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2017年9月13日 (水)

稲穂が実り、色づきはじめました。

こんにちは。実りの秋となり、栗の収穫が最盛期を迎えています。また、野菜の高騰でキュウリ、ホウレンソウの値段がかなり、良くなっています。木材の方はと言うと1立方の平均単価は、10,528円と若干良くなった感じです。これから、どんどん高くなってほしいところです。さて、前回に引き続きの小国の生い立ちですが、小国郷史(書籍)をお借りしてまして、一度本人にお返しする事になり、今回は小国にまつわる別の話題を提供したいと思います。次回までには、書籍をお借りし、続きをお知らせしたいと思っとります。申し訳ありません。

小国には温泉が数多くあり、杖立温泉、湧田山のふもとにあるはげの湯、岳ノ湯温泉が少し有名でしょうか。秘湯と言えば秘湯ですが、北里地区(昔はここが城下町であり、石櫃城がありました)に奴留湯温泉があります。天保13年(1842年)北里の堀田の後藤助左衛門が湯の噴出を発見しました。低温であったため、「温湯」と書き小さな小屋を建てて入湯できるようにし、次第に町内外に広まりました。この奴留湯、訳すと「奴さんが留まった湯」となり、一部では、参勤交代の道筋にある温泉として、宿場もあり大名一行がつかれを癒していたと云われてましたが、とんだ間違いだったとわかりました。奴留湯と言う名前は地区名から来たものと思われます。参勤交代の道筋は、大津(菊池)~内牧(阿蘇)~坂梨(阿蘇)~波野(阿蘇)~産山(阿蘇)~白丹(大分)~久住(大分)~鶴崎(大分)であった。奴留湯温泉の近くに「お関様」があり、後藤為人(後藤助左衛門の何かになる)の時代に大分県の佐賀関より「早吸日女大神」を迎え安置し、さらに後藤家にあった「金比羅宮」と七日市地区にあった「馬頭観音」も奉納し、3神をお関様として安置しました。毎年、お関様祭として、7月末に村の方が開催してにぎあっています。なぜ、佐賀関からの神様を持って来たかですが、小国と鶴崎との縁は古く、加藤清正の時代に秀吉からの呼びつけで大阪に出向かなけれなりませんでした。その際、陸路より海路を利用した方が早く大阪へは、大分からの港の方が便利だし、早いと思い、加藤清正は所領を熊本と天草全土を加増で貰い受けてましたが、天草全島と豊後の久住、野津原、鶴崎と交換してもらいました。このような関係から小国と鶴崎とは関係が深く、神様を勧請したものと思われる。また、小国内には「鶴崎鍛冶」や「鶴崎石工」などの技術による学校、寺院、商家の建築物が残っています。・・・・・続く happy01

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     夏の一目山                       夏の湧田山



2017年8月17日 (木)

立秋とは言ったものの。いやはや、この暑さは。

暦の上では、立秋とはなったものの、まだまだ日中は暑いです。ただ、夜はコウロギや鈴虫の声も聞こえるようになりました。当組合も、9月の優良材市に向けて伐り師さんには頑張ってもらいたいところです。本日、丸太市がありましたが、少し値上がりしているみたいです。

さて、鎌倉時代の小国はどうだったかと言うと平家が滅び、源氏も北条氏から滅ぼされ、北条氏が武家政治を行ったわけで、京都の公家はこの実権が面白くなく、後鳥羽天皇を中心に北条氏を倒そうとしましたが、大軍にやられて、配流させられました。「承久の変」でしょうか。

小国の葉室氏も菊池氏とこの承久の変で朝廷側に参加しているようです。よって、敗北した菊池氏は領土が半分になり、葉室氏は領土を没収され菊池氏の配下になっている。当時は小国も阿蘇氏の所領化にありましたが、阿蘇氏の武士団化を恐れ、北条氏が地頭となり阿蘇氏の勢力を削ぎ取っていた。しかしながら、阿蘇神社に対しては尊崇の念をもっていたと考えられている。葉室氏が菊池氏の配下になったのち、小国は北里(綿貫)次郎左衛門尉妙義が御家人としておさめたと考えられる。幕府の武家政治が始まり、北条時定が鎮西奉行として九州を統制し、守護を置くようになった。大分には大友氏、大宰府には武蔵頼資氏、薩摩には島津氏、球磨郡人吉には相良氏を地頭として置いた。時定は、小国に来て満願寺(満願寺温泉)を建立し、勅願寺とした。それは、時定の墓、定宗の墓、隋時の墓があるので明らかである。

つづく

2017年7月31日 (月)

大暑になりました。

こんにちは。梅雨も明けの昼間の猛暑と熱帯夜が続いています。小国でも夜の気温は、30度となっています。さらに、湿気も多いことから余計に暑く感じるところです。ひぐらしが鳴きはじめると、そろそろ涼しくなるのですが、まだクマセミやアブラゼミが鳴き続けています。

組合の現業職員もこの暑さでかなり、ばてばてだと感じています。頑張ってほしいものです。怪我や熱中症が心配です。

さて、小国の名前の由来も様々な説がありましたが、昔から続いている農林業にも通ずるところかもしれません。平安時代の小国はどうであったか、小国に来たと言われる北里氏の祖先は綿貫次郎左衛門信義であり、幼名は幸鶴丸と言った。源頼親の五男で豊後に60町、小国に240町の土地を授けられた。その日が4月1日であったので、綿貫と称したと言う。1029年のことである。幸鶴丸がのちの小国の総庄屋である北里氏の総本家となるのである。当時の国中では、藤原氏が京都と中央政府の地位を独占し、皇族でさえ地方に追いやられていた。皇族の中にも平氏、源氏の姓を受け、地方に散らばり、国司として土着し、武士になったものも多くいる。小国でも豪族が入り乱れていた。源氏と平氏の勢力争いでは、源氏がやぶれ、再興を図るため源義朝は源氏再興の意図から、諸国の源一族を呼び京都に招いた。綿貫光義も召集に応じ、上京したが、敗れている。のち、九州に帰り、豊後の緒方氏を頼った。平氏の追撃をさけるためであったと思われる。平氏の権勢が盛んになると、地方の武士もそれにならって行った。京都では、平氏の横暴ぶりが皇族や公家の反乱を招き、以仁王は、源氏氏に令旨を下し、頼朝、木曾義仲、その他の武士が挙兵した。九州でも、阿蘇氏、菊池氏、緒方氏、木原氏が反平氏として立ち上がった。しかし、筑後守平貞能が菊池を攻めて菊池氏は下った。ただ、平清盛が病死したのちは、勢力が弱まり、ついには長門檀の浦で滅亡した。当時の小国は、京都から葉室修理太夫善保が下向して小国に来ている。北方の固めとして小国西原城に居たと伝えられ、平氏の荘園(農地)の地頭として下向したのではないか。その後、鎌倉幕府となり、葉室氏は鎌倉の御家人になったと考えられる。のちに幕府は阿蘇氏の総領家を圧えるために北条氏が地頭となったので、葉室氏が御家人として管理したのではないかと考えられる。ただ、これは推測である。

つづく・・・

2017年7月 8日 (土)

豪雨による甚大な被害

こんにちは。このたびの福岡大分地方(朝倉、久留米、日田)に梅雨の豪雨で痛ましい

甚大な被害をもたらしました。心より、お見舞い申し上げます。幸い、小国は雨の隙間で

あったと申しましょうか。幸いにして、被害がすくなかったところです。ただ、なんでかこの

ところ微震があってまして、夜中に目が覚めたりします。coldsweats02 震度2程度ではありますが。

隣接する南小国は小国より被害が大きかったようです。

この世の中、どこで何が起こるか判らないところです。

さて、昨今ニュースでEUと大筋合意に達したEPAの協定で関税撤廃に向けての動きが

出てくるようで輸入材による林業への影響も少なからず出てくる可能性があると懸念して

いるわたくしであります。そんな~、政府も林業を成長産業の1つに掲げているし、CLT

工法で国産材普及を促進しているので、そんな心配する事ないか~。

小国の名前の由来などを文献で探究してみると、阿蘇神社から分かれて来た小国両神

社があるわけですが、その神話として阿蘇神者の祭神となった健磐竜命(たていわたつの

みこと)が阿蘇山上から三方に矢を放った。1本は、北の「御矢の原」に放たれた。(たてい

わたつのみこと)の命で火の雄神と水の雄神は巡視に来られた。大河片澄と言う御矢の

原の地主は、その二神に申し上げた。「臣を御手の中におかせ玉えば、臣が国小なりと

いえども、青山四方を巡りて住吉の国なり。臣従はば皆服し奉るべく、誰1人そむくものは

ありません。」と言葉を述べた。このことから、国小なりから小国の名が出来たという説も

ある。あくまでも、神話であるが、誠に面白く小国の名にふさわしい言葉であると感じた。

また、全国の行政地名が書いてある中に阿蘇郡四郷=波良郷、阿蘇郷、衣尻郷、知保

郷とある。省略しますが、波良郷は、二重の牧場とともに良馬の産地と書いてある。時は     

約千数百年前の反正天皇時代に阿蘇郡領の木村と言う人の子に「味村」と言う人が

小国牧監になっている。このことから、小国は原野が広く、地力もあり、よく野草も茂り

水も豊富にあった事から、良馬の産地であったと考えられる。それがすなわち波良郷

(はらさと)=原(はら)となり、小国の地名にもこの原がついた地名が多いことで小国

となった考えもある。さらに、1078年阿蘇宮神領の四境の国宣(こくせん)がある。

「東は宇歩山、平江、滝水、河原地方、南は日向越給道、西は鞍ヶ岳の峰、北は椙山

の北日田境に及ぶ」とある。すなわち、北は椙山とあるのは小国を指しているであろう、

日田は大分県の日田であるため、隣接しており、昔から小国は自然に天然の杉が樹勢

していたとも言われている。波良郷と椙山、実に響きのよい名前である。

最後に、小国は「北郷」と呼ばれた時代がある。これは、比較的新しい時代であるが、

阿蘇谷を東郷、西郷、北郷、南郷と呼んだ事で古文書に書いてある。現在の地名で残っ

いるのは、南郷谷(久木野村、白水村、長陽町)である。北郷は小国の事であるが、昔

から小国と呼ばれてきたので、北郷の名は殆ど用いられていないが、昔小国を治めて

いた綿貫氏が北郷(きたざと)と改名したようである。それが、後に北里に変わり、細川

藩の時代に小国に「北里手永」を置いたという。属に言う総庄屋のことである。

小国の地名には、逸話があるが、何にしても地形、自然などから名前とマッチしている

と深く感銘した。catface つづく・・・・

«今年も夏は暑くなりそうです。

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