師走に入り。
こんにちは。
師走に入り、寒さも一段と厳しくなりました。11月までは、暖冬のような気候でしたが、昨日の朝は氷点下3度と今年一番の寒さでした。いかがお過ごしでしょうか。今日は、雪も舞っており、小国特有の寒さの到来となりましたでしょうか。(涌蓋山まっしろ)
去る12月3日に第8回目となります小国杉エコツアーを開催しました。この日はツアー参加者を出迎えたような快晴となり、植林では汗ばむ気温となりました。参加者は、20名ほどで滞りなく終了しました。おかげさまで、リピーターも半分となりCO2削減におおいに貢献していただいていると思います。1人1人の取組みが大きな輪になり、小国の杉が少しでも地球温暖化防止に貢献して行ければ、この取組みの意義が出てくると思います。来年も開催しますので、12月の第1日曜をお見逃しなく。
さて、小国町の歴史ですが豊臣政権時代には小国郷は大友氏の勢力下にあり、31代の北里三河守左馬助が総領家として小国郷を任されていた。しかし、島津勢が肥後の国に入り、小国に攻め入ったときには、大友氏の配下として小国を守っていたが、次第に押し込まれ島津勢の支配下となった。それは、そもそも北条家から阿蘇大宮司(阿蘇氏)の支配下にあったが阿蘇氏もなくなく島津勢の配下となった事でその流れとなっている。その後、豊臣勢が九州征伐として、島津勢を追い払うと豊臣家の家臣「佐々成政」が熊本の領主となり、小国も北里三河守左馬助が成政に願い出て所領が安土されることになった。
しかし、肥後の国で侍一揆が勃発し、制圧できなかったお咎めで佐々成政は摂津で切腹となった。その後、加藤清正と小西行長が熊本に入り、相良、小西、加藤と肥後の国を3分割し統治した。北里家は、前回紹介したとおり平安時代の豪族から始まり、鎌倉時代には綿貫次郎左衛門尉信義(幸鶴丸)が初代の北里家となっている。ちなみに幸鶴丸は、源氏の頼光の子であり、当時源氏の支配下にあった小国の総領となって300ha所領を有していた。その後、2代目から北里姓を称し14代目の妙義が小国に桜尾城を築城している。(現在の岳の湯温泉近辺)菊池氏が攻め込んで来たときには、阿蘇氏の家臣となり、桜尾城を拠点に9つの城を築き、守っている。戦国には大友氏に仕え、加藤清正の支配下では、総領家となり当時の30代目の北里政義から庶子家(分家)として総庄屋が残って来ている。従って、本家の流れが武家を受け継いでおり、分家の流れが庄屋を受け継いでいる。現在の北里町長と当組合の北里常務理事は、庄屋の方に属している。つづく・・・
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