平成30年は雪多しの年に
謹んで新春のお慶びを申し上げます。
今年も当組合、山の整備、林業担い手の育成、木材加工品の販売など一環した林業・木材関連の推進に努力してまいります。なにとぞ、よろしくお願いします。
昨年12月からの寒波襲来で小国も冷え込み、年が明けて早々は比較的暖冬でしたが、8日あたりから冷え込み、11日はあたり一面山々は雪化粧となっています。小寒から大寒にかけてはまだまだ、寒さが続くのでしょうか。6日は組合も近くの両神社で役職員の安全祈願を実施し、コンプラ研修会、午後からは現場の方を対象に研修会を実施したところから始り、9日からが本格的な仕事はじめとなっています。
さて、仕事はじめの9日は共販所で初市が行われ、県内外の買い方約40名がセリ子の声につられ、入札していました。販売数量は約1,600立方ほど販売し、杉の最高値は1立方@35,000円で桧は1立方@60,000円でした。
さて、北里妙義が14代目の宗家の総領となり、20代目の包義が小国に九ヶ城を築くことになる。これは、菊池氏が豊後の大友氏に攻め入る際に小国の通過が避けらず、阿蘇大宮司氏とも中が悪く、阿蘇から攻め入ることは難しいかったことも考えられる。南小国町満願時付近に矢田原城から動馬喜城を築城し、菊池勢の攻撃に備えた。しかし、多勢に無勢もあり豊後まで通過され、大友氏と争うことになっている。25代目の為義代では、阿蘇家の兄弟での家督争いに巻き込まれ、島津氏についた長男惟長と阿蘇家についた惟豊側で家督争いに巻き込まれ、惟豊側についた為義は、敗れ宮崎の諸塚村(もろづかむら)に逃げたが追撃に遭い、家来28名とともに玉砕された。その墓は今でも祭られており、地元の甲斐氏によって毎年祭祀が行われている。27代目正義は為義の長男でであり、父の討死時に島津勢に捕えられ、拉致されること10年にわたったが、13歳で小国に帰され家督を継ぐことになった。それは、以前でも話した通り豊臣勢の九州征伐で島津勢を追い払ったことから伺える。続く・・・
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