立春と言えども
こんにちは。明けてからもこの寒さが続いています。2月の立春を過ぎても日中でもマイナス2度となっており、いつ春が来るのやら。おまけに灯油や重油は値上がりして、生活は益々経費がかさむ状態です。木材も日陰の公道も雪があり、シャーベット状態の道路が多く、まだまだトラックが入れない箇所があります。29年度の間伐の補助金の予算も消化する時期で追い込みをかけていますが、中々作業がはかどらないのが実情です。
さて、北里氏系譜によると初代信義から29代の永義までは1代での流れでありましたが、30代の政義から総領家と庶子家に分かれております。いわゆる武家と庄屋とに分かれたことになります。政義は加藤家に仕えており、後に細川藩忠利に末代では仕えることになります。現在の総領家は南小国の田の原地区にその末裔がおられます。庶子家には、弟の惟経(これつね)が家督を継ぎ、初代庶子家に惟宣(これのり)がなり、14代で現在も家督が繋がれております。途中、8代の北里元義で分家に細菌医学学者で北里大学の先駆者でもある北里柴三郎氏がこの流れの家督を継いでいました。また、惟経の五男であった惟昔(これしゃく?)の末裔に小国杉の篤林家の一人として名前出ています北里栄喜さんがおられます。こうしてみると、北里一族の末裔は、分野ごとに分かれており、断絶した家もありますが、現在も小国町内で活躍している方が大勢いらっしゃいます。
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